義経を追いかけた重忠公の三陸海岸へ行く続2日目

諏訪神社

源頼朝の命により、源義経を追いかけて畠山重忠公がこの地まで追いつき義経に向けて弓を射たが、重忠公は義経とは平家を一緒に追いかけ、一谷の合戦では鵯越の崖を降りたり、壇ノ浦まで行き平家滅亡の為、戦った仲間で有った。

重忠は逃げ延びんとする、義経に当たらない様にと祈りながら弓を射たと言う、矢は義経を外れて松の木に刺さった、その時の矢がこの諏訪神社のご神体として祀られていると言う。

田野畑村から三陸縦貫道で30分ほどで有るが、又々古いトヨタレンタカーの

ナビに引っ掛かり田野畑ICが閉鎖されている場所経由の為譜代町ICまで下道で

1時間掛けて久慈市諏訪神社に到着した、ここではNetの口コミで車で上まで

行ける情報が有ったので、Google Mapで探したが出てこず、余り普段は信用

していないYahoo Mapでしっかり場所が記載されていた

西側から南へ廻りながら行く狭い道で小型車でないと行けない

道だが頂上に諏訪神社が有った

参道も中々立派だ

内部を携帯のフラッシュで撮影したが矢は見えなかった

この神社を管理している人と話をしたが、自分は神主ではないので

矢が有るのは聞いているが見た事が無いという。

駐車場から義経蝦夷へ旅立ったと言う、久慈港が見えた

車で神社の下へ降りると昭和8年の津波被害の記念碑が有った

三陸沿岸は度重なる津波被害で至る所に津波被害の記念碑が有るようだ

車で神社へ行かない人は海岸からこの階段を20m上って行くそうだ